2014-06-29

第49話のDie sechs Schwäne を読み終えた。話としては荒削りだと思う。まず、王様が eine alte Frau mit wackelndem Kopfe (no.3127) と出会い、その娘を紹介されて結婚することから話が始まる。でも王様は気に入らない。aber sie gefiel ihm doch nicht, und er konnte sie ohne heimliches Grausen nicht ansehen (no.3134) ならば、そもそも最初から断ればと思う。

話はいろいろと展開するが、最後は、めでたい結末になっている。しかし、父親の王様の話や魔女の娘の話はもう忘れ去られている。伏線の半分が回収されていない感じである。民話とは、だいたいこのように荒削りなのか。たしかに荒削りも魅力の一つなのであるが。

グリムの童話集ではすべてが、happy endings とはならない。民話というのはそもそも予想外の結末がおおい。現代の小説では約束事として、結末は勧善懲悪であり、happy endings となることが決まっている。それゆえに、読者はある意味で安心して読める。だが、こんな小説ばかり読んでいると、その人は現実を見間違える点が問題だと思う。現実の話は後味の悪い話も多かろう。現実では、幸せな話もあれば、不幸な話もある。それらが代々伝えられて民話になった。しかし、人々の間で伝えられていくうちに、修正されていき、たいていは人々の趣味にあうようになった。(このことに不満を覚える人もいるだろう)グリム童話集も大なり小なりそのような修正を受けているわけだ。

ところで、グリム童話集は生粋のドイツ民族の産物とは言えないそうである。グリム童話集の材料を提供した人は、後の研究によれば、フランスから亡命してきたユグノーが多いそうである。そのために、ペロー童話集とも似た話があったという。あまりにペロー童話集と似た話は後に省かれた。

あと気づいたのは7という数字がよく現れる点である。Die sechs Schwäne の話では、王様は前妻との間に7人の子供がいた。白雪姫も7人の小人が登場した。7匹の子やぎの物語もある。7という数字がよく好まれる。何やら意味を持つようだ。真鍋良一編著『ドイツ語の疑問に答える201章ードゥーデン編集部の回答ー』(三修社、1982年刊)の中で、一週間をなぜ 8 Tage というか、という質問があった (p.84)。その回答は、「siebenは神聖な数字であるから畏れ多いので使うのを避けた」のだろうとあった。7が神聖な数字というのは面白い。たしかに、7は聖書にもよく出てくる数字である。

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