2014-04-13

相変わらず La porte Etroite を読んでいる。Alissa はずっと Jeromeの愛を拒み続けているだが、no.1629にこんな文がある。Grace a toi, mon ami, mon reve ?taitmonte si haut que tout contentement humain l’eut fait d?choir. つまり Jeromeが自分を崇め奉りすぎたので、自分もそれに応えるために地上の愛には対応できなくなったとの言葉である。

ある種の感動を呼び起こす小説であることは間違いない。自分が共鳴できるかどうかは別として、このように考える人がいる、というのは心を打たれる。

no.1667 にAlissaがパリに行って死んだということが手紙で知らされる。Edouard est parti, a si bien fait qu’enfin il a decouvert la petite maison de sante ou Alissa s’etait refugiee. とある。Edouardが有能な人物(少なくとも世俗にかけては)である事が示されている。問題は、Alissaが la maison de sant?でなくなったという事である。彼女は精神を病んだのか、それとも働こうとしたのか、もう少し読めば、その点は分かっていくのだろう。

no.1822に次のような文がある。アリサが神に向かって嘆く部分である。Mais non! la route que vous nous enseignez, Seigneur, est une route ?troite – ?troite a n’y pouvoir marcher deux de front. 神が示された道はあまりに狭くて、アリサとジェロームの二人が一緒に入る事ができない、と嘆いている。なるほど、それゆえにこの本のタイトルは狭き門なのか。二人が一緒に入る事ができないほどに狭い門であるのか。

夜の九時半ごろ、ようやくこの本を読み終えた。土曜日曜がはさむとかなりの量をよむことができるようだ。結論は、面白かった!『狭き門』というキリスト教との対決から生まれた本を読むと、世界の理解が深まる。こんな本を書いたGideの生涯を知りたいものだ。いずれにせよ、神秘の世界にますます迷い込んでいくような気がする。

明日からは、Hauffの童話集の第2集を読み始めよう。さて、どんな神秘な森が待ち構えているのか。