2014-05-31

異邦人を読み始める。この本は大学生の時にはじめて読んだ時には、ムルソーの自らへの無関心さに驚いたものだった。ムルソーは離人症の青年かと思ったのである。しかし、さほどこの本が魅力的とは感じなかった。その後、20年ぐらいして、Gallimard版(1970年刊)で読んだことがあったが、その時も、とくに感銘はなかった。しかし、最近ネットでフランス文学に関する情報を漁ってみると、『異邦人』がフランス文学の最高峰であるとの表現によくであうようになった。そんなことに刺激されて、『異邦人』を再読することになった。

読むのは例によってkindle版で読んでみる。この小説は多くの箇所が複合過去で書かれている点がユニークであるので、この点を意識して読んでみたい。複合過去をドイツ語や英語ではどのように訳しているのだろうか。そんなことにも関心があるので、独訳や英訳の本も用意した。独訳はDer Fremde, 訳者はUli Aumueller、 Axel Springer AG Verlagsgruppe Bild; Auflage (Oktober 2011刊)である。英訳は The Stranger, 訳者はMatthew Ward, Quality Paperback Book Club (1995年刊)である。画像を提示する。写真はフランス語の本も示すが、読むのはもっぱらkindle版で読んでみたい。

冒頭の Aujourd’hui, maman est morte. の文だが、英訳は Maman died today. 独訳はHeute ist Mama gestorben.とある。英訳は現在完了は使ってない。「2時のバスに乗った」という文だが、フランス語ではJ’ai pris l’autobus a deux heures. とあるのに、英訳では I caught the two o’clock bus. 独訳では、Ish habe den Bus um zwei genommen. とある。あとのページもずーっと眺めてみると、英訳では複合過去に対しては、特に現在完了時制を用いることはなくて、過去形で済ませている。それは当然だろう。この物語をすべて現在完了形で訳していったら、英語としてはかなり奇異な文体になる。訳者はそこまでの冒険は避けたのであろう。独訳の方はすべて忠実に現在完了形で訳してあるようだ。訳者達はどのような時制を使うか、それぞれ悩んだことだろうと推測する。

ネットで調べると、サルトルは、Situations I の中でこの複合過去に対していろいろなコメントをしているようだ。彼は次のように主張する。「単純過去の文体だと、事項がそれぞれつながって流れていくが、複合過去の文体では、事項が自分とだけつながり、それぞれの事項は孤立した島となる」ふーん、なるほど。

ところで、老人ホームはL’asile de vieillardとある。英訳はThe old people’s home, 独訳はAltersheimとある。日本語では養老院と訳されるが、もっとモダーンな響きとして「老人ホーム」が好まれる。ネガティブな響きを持つ語は、常により中立的な響きの語に置き換えられるのだが、これらの語は現在はどのように使われるのか。今も現役の語かどうか、そんなことも調べてみたい。

この本を読んでみて、個々で描かれているL’asile de vieillard がsanitarized された感じがする。自分の母は今介護施設にいるが、そこの印象はなんと言っても「特有の匂い」である。おむつや排便の匂いが部屋中に立ちこめている。自宅で母を介護していた時に一番の問題は「下の世話」であった。実の母でもおむつを替えたり、身体を拭いたりは苦痛であった。介護施設のヘルパーさん達には本当に頭が下がる。そんなこともあって、自分は老人とその匂いに敏感である。この小説には、施設の描写でもそんな匂いは感じられない。ただ、ただ、ムルソーのすべてに対する無関心さに驚くだけである。