2014-04-13

言語の美しさ、とは「情報が過不足なく伝えられるときに人間が言語に対して抱くものである」である。情報が過不足なく伝えられるためには、旧情報もある程度残されていなければならない。そして、旧情報プラス新情報という組み合わせが過不足なく成立すれば、人は美しさを感じる。

話し言葉の世界では、次から次と言葉が流れていくので、旧情報が忘れがちになる。そんなときに、前の言葉とのつながりを意識させるためにも、脚韻とか5-7丁などが考えだされた。書き言葉では、言語の持つ線条性(一直線上にながれていく)という要素が薄れた。人は、振り返り、振り返り、言葉を確認しながら進む事ができる。新情報を後ろに必ずしも置かなくても問題はない。

情報構造を考えるときは、話し言葉を基礎にして考えていくべきである。旧情報と新情報とで枠組みを作り上げる必要がある。その設計図として、文法が生まれたし、レトリックという技法が生まれたと考えられる。

La Porte Etroite には美しい表現がたくさんある。でもよく見ると、美しさを感じさや、自然の美しさや人間の愛の美しさを描写した文である。だから、美しい表現になる。情報を過不足なく伝えたから美しい、と解釈するのは難しいのだ。このあたり、どのようにすれば、統一的な理論構築ができるのだろうか。

校正のされていない文章、句読点が間違えてある文章は、情報がうまく伝わらないから、人は美しくない文と感じる。自然描写の文が美しいと感じるのは、自然の美しさに関心がある人が読者であるからで、そこから十分に情報を得ているので、美しい文であると感じるのだろう。倒置文が美しくなるのは、伝えたい情報が強調されるように文が構成されるので美しくなる。ごてごてした文が美しくないのは、情報が見えなくなってくるからであり、よけいな形容部分を削ぎ落とせば、美しくなる。

no.1589にAlissaとJeromeが再会する場面がある。A ce moment je levai les yeux vers elle. Elle ?tait extraordinairement changer; sa maigreur, sa p?leur me serr?rent le coeur affreusement. この部分は寂しい部分である。もう Alissa の姿がもはや以前の若さを保っていない事を示す。この本は短い話だが、基本的にはJeromeの回顧録という形式であり、話の進展が早い。登場人物たちはすぐに老いてしまう。そして消えていく。