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黒澤明監督の『乱』を見た。面白い。しかし、映画の結末は後味が悪い。勧善懲悪の物語ならば、視聴者も安心して見終わるのだが、この結末だと、悲しくなる。この映画は世界の不条理を表しているという意味で真実を表しているのだが、人々がドラマやフィクションを見たり聞いたりするのは、世の残酷な真実を忘れるために、つかの間の幻影を見るために、映画を見るのではないか。もう少し、結末に救いがあっていいではないか。
ただ、この映画の価値、素晴らしさは認める。監督の色彩感覚が抜群だ。色の対比を上手に使っている。三人息子だが、太郎が黄色、次郎が赤色、三郎が青色の衣装や旗の色を使っている。音楽も日本古代の笛や能楽を印象づけるものだ。
舞台設定が大がかりだ。戦いの場面では、たくさんの落馬があるが、あれはエキストラか、怪我はなかったのか。心配だ。
ピーターが道化師の役をやっていて、何やら分けの分からないことを言っている。戦国時代は、まさか本当にあんな道化師はいなかったと思うのだが。この映画は『リア王』のリメイクなので、道化師の散在は踏襲したのであろう。
一文字秀虎を演じるのは仲代達矢である。演技力は高い。彼は以前から鋭い目つきの俳優であり、『椿十三浪』『用心棒』などでも、彼の目が印象に残っている。彼の目の異様さだが、この映画では彼の精神の攪乱、狂気を見事に示している。
自分が始めて知った表現に「鼻毛を読まれる」という言い方だ。次郎は、姉嫁の楓(かえで)にそそのかされて、正妻のお末の方を亡き者にしようとする。その時に、部下の武将から「さては、楓様から鼻毛を読まれましたな」と言われた。意味が分からなかったので、辞書を引くと、「女から丸め込まれていいなりになる」という意味のようだ。覚えておこう。
さて、この当時の既婚女性の姿は異様である。楓は、当時の既婚女性らしく、眉を剃り落としている。さすがにお歯黒はしていなかった。その頃の美人の概念が異なる。現代人の感覚で言うと、楓は美人には見えない。何か、妖怪か何かのように見える。女優も大変だなと思う。
楓が次郎の部下に切られて、血が屏風に飛び散る部分は怖い。血の赤い色が印象的だ。
世界の不条理をこれでもかこれでもかと映し出している。映画では応援したいキャラであった末の方も首も切られてします。その弟は、いつまでも来ない姉を待っている場面など悲しい。その場面で、この映画は終わるのだ。