『丹下左膳』を読んだ。これは面白かった。かなり荒唐無稽な小説であるが、飽きずにずっと読んでゆけた。冒頭から、乾雲丸・坤竜丸という互いに求め合う二つの名刀の話しが出てくる。これらの二刀は離されると、人の血を求めて夜泣きをするという物騒な刀である。それは、岐阜の関の孫六の名刀である。この乾雲丸・坤竜丸という大小一対の刀を手に入れるために密命により江戸に潜入した者が丹下左膳である。

さまざまな人物が現れて、ちょうどうまい案配に別れがあったり、出会いがあったりする。元来は新聞の連載小説であったために、間延びがしているような気もするが、全体には、さほどあらすじの破綻もなくて、楽しめた。

それよりも、この作者、林不忘(はやしふぼう)の才能に驚いた。1900年生まれで、1935年没である。才能あふれる彼が27歳の時に書いたのがこの『丹下左膳』である。その才能のあふれる様は驚くほどである。時代考証のたしかさ、細部に付いての知識、読者にとっても勉強になる部分が多い。

さて、丹下左膳の魅力は何か。また、似たようなキャラクターの蒲生泰軒も登場する。二人の共通点は、無欲という点か。丹下左膳はそれなりに女性に恋をするのだが、物欲はない。乞食同然の生活をして、それを苦にしていない。どこでも、自分の住処と心得て、風来坊である。

そのような生活は、日常のしがらみから抜けられない現代の一般人から見ると羨ましく感じる。彼らは、その才能を生かしてどこかの藩に仕官するわけでもない。貧乏暮らしが気に入っているようだ。風来坊の自由人である。これは黒澤明監督の映画『椿三十郎』とも重なる部分がある。

この自由人、風来坊の主人公の魅力、そして、ストーリーの展開の面白さが、『丹下左膳』の魅力であろう。