2015-02-04

ライフクロフトの手記を読み進んでいる。イタリアのワインが美味しいと書いてある。あまりお酒のことは書かないなと思ったが、やはり彼もお酒好きのようだ。この場合はワインであるが(自分はワインは好まない、甘すぎると感じるので)、酒好きの人のエッセイは楽しい。また、若い頃イタリアへ行きたくて、たまらなかったと述べている。ゲーテもイタリア好きだったということをこの手記から教えてもらった。そういえば、ゲーテには『イタリア紀行』という本がある。

アンソーニ・トロロープ(Anthony Trollope)に関して述べてある。彼の機械的・習慣的な執筆のやり方についてコメントしている。トロロープは自伝の中で自分が金儲けのために、機械的に執筆したと告白している。ネットで調べると次のような文章を見つけた。「トロロープは毎朝、出勤前の2時間半を執筆に充て、晴雨、寒暑にかかわりなく、これを厳守した。二時間半の執筆時間が過ぎれば、文章の途中でも、そこで切り上げて続きは次の日に回し、600ページの作品を完成して15分ほど時間が余れば「完」と書き込んで原稿を脇へ置き、ただちに次の作品に取り掛かった」ラクフロフトは彼の執筆態度を紹介しながら、そんな態度で書かれた小説をあがめ立てた大衆を「大バカ」 the great big stupid public と述べている。

ところで、トロロープの機械的な書き方に自分は関心をもった。それでkindleで彼の自伝をダウンロードする。これは無料であった。また、彼の小説を5、6篇ほど無料であったので、おなじくダウンロードする。将来彼の自伝と小説を何冊か読んでみたい。

ライクロフトはその他当時の作家たちをいろいろコメントしている。英文学の知識が十分にあれば、彼のコメントがいろいろと楽しめるだろうと思うのだが、これは今後勉強していけばいい。

語法的なことだが、この本では、I knew not whether…. (no. 1653) のようないい方ばかりである。did not know という言い方はしていない。当時は、know は助動詞のように not がつくだけで否定を示していたようだ。

次の文章は悲しい。でも、自分にはよく分かる。あと10年もしたら切実に感じるだろう。My life is over. Surely I ought to have been aware of that simple fact; certainly it has made part of my meditation, has often coloured my mood; but the thing had never definitely shaped itself, ready in words for the tongue. My life is over. I uttered the sentence once or twice, that my ear might test its truth. Truth undeniable, however strange; undeniable as the figure of my age last birthday. (no. 1751)

次の文章も胸を打つ。昨日は若者だったのに、もう既に老人となっている。どうしてこんなことが可能なのか。What! I, who only yesterday was a young man, planning, hoping, looking forward to life as to a practically endless career, I, who was so vigorous and scornful, have come to this day of definite retrospect? How is it possible? (no. 1756)

とにかく、この本は自分にとって、老年をどう迎えるかに関する実用書である。とても役に立つ。