2014-07-06

Poe のLa Chute de la maison Usher (Tout Edgar Poe Traduit par Baudelaire, kindle 版)を読んだ。ふと、アッシャー家の崩壊を読んでみたくなり、なぜか Baudelaire の仏訳 (kindl版)で読んでみた。仏訳ではラテン系の語彙が多出するが、これはアッシャー家の崩壊の場面とはうまくマッチするという印象を受けた。病的なストーリにはこちらが似合うかもしれない。読んでいる時は、原文もときどき参照したが、それは The Complete Works of Edgar Allan Poe (kindle版)を使った。

原文では、妹の死顔を見たという部分は the yet unscrewed lid of the coffin, and looked upon the face of the tenant (no.5931) である。自分はこのcoffin の tenantという表現にかなりの違和感を覚えた。仏訳では、la couvercle de la bière qui n’était pas encore vissé, et nous regardâmes la face du cadavre (no.8005)となっている。Poe の原文での tenant を cadavreと仏訳している。これは当然だろうな。こちらがフィットする。

物語の終わり近くで雷雨の描写がでてくる。C’était vraiment une nuit d’orage affreusement belle, une nuit unique et étrange dans son horreur et sa beauté. (no.8035) とある。ここにPoeの世界観が凝縮されているとおもう。世界を「恐怖」でとらえると同時に「美しい」とも感じる。Poe は異才の人だとつくづく思う。彼の詩 Alone を何故か思い出した。また、妹が戻ってくる音がかすかに聞こえる場面だが、j’en entendis l’écho distinct, profond, métallique, retentissant, mais comme assourdi. (no.20019)とあり、とても怖い。

Poeは40年の生涯 (1809-1849)であり、Baudelaire は46年の生涯(1821年から1867年)であった。現代の水準からすると、短い生涯であったが、かれらは偉大な文学作品を残した。Baudelaire の功績の一つは Poe に傾注してかれの作品を仏訳してフランスに紹介したことである。BaudelaireがPoeからどのように影響を受けたのか、いろいろな論文がネットにあってこれから読んでみたい。なお、Baudelaire はPoe の作品を手に入れるのに難儀したとある。いまは電子書籍で瞬時に資料が手に入る時代になったが、本当に便利な時代だなと感心する。

あと読んでいて気づいた点を書いてみると、(1)仏訳では、château, maison, manor と「家」を表す語を使い分けている。仏訳で主人公が召使いたちと会う場面だが、Un valet de chambre に会ってからun domestiqueと会っている(no.7768)、原文(no.5772) では、a servant と会い、次は a valet と会っている。つまり、servant を valet de chambreと訳し、valet を domestiqueと訳している。valetならば、仏訳でもvaletと訳せばと思うのだが、このあたり英仏で意味合いが微妙に異なるのか。(2)英語の a fortnight (no.5918) をBaudelaire はquinzaine (no.7982)と訳している。なぜ、フランス語では15日間が2週間になるのか。7とか14は聖数なので畏れ多くて使えないのか。(3)De Béranger の詩が冒頭にあるが、これはどのようにこの物語とつながるのか。(4)原文のno.5863-5888 にUsherの即興詩が登場するが、sorrow – morrow, saw – law, glowing – flowing, sing – king, golden – olden, day – away と脚韻がふってある。Baudelaire の訳ではさすがにこの詩に脚韻をふることは無理なようで、韻は踏んでいない。(5)仏訳本のno.7982 に Usher の本棚にある本が紹介されているが、これらは当時の空想的な小説、怪奇小説のようで、その題名を読むとある種の妖麗な雰囲気が出るようになっている。 これらの本を私も読みたくなった。

とにかく、たくさんのことを書きたくなった。それだけ、この仏訳がprovokingであるということだろう。