2014-06-11

ツァラトゥストラを読み始めたい。この本は大学生のときに、岩波文庫の氷上英廣訳で読んだ事がある。我慢して最後まで読んだが、感想は「よく分からないので評価不能」であった。しかし、ニーチェという思想家にはある程度の関心は持っていた。10年ほど前に、竹田青嗣著『ニーチェ入門』(ちくま新書)を読んだ時は、非常に分かりやすい本で感動したことがあった。そんなことを思い出し、有名な本でもあるので挑戦してみることにする。

読む前にいくつかの準備をしてみる。テキストは独英の2言語版である。つまりドイツ語の下に英訳が併記されている本である。訳者は Thomas Common という人だ。しかし、英語の訳文が古くさそうな気がしていたら、同じ訳者で、Thus Spoke Zarathustra (A Modernized Translation with a New Introduction and Biography)という本があった。これはkindle盤で100円である。入手してみる。訳は確かに新しい文体で読みやすい。また無料でダウンロードできるフランス語版Ainsi parlait Zarathoustra を入手した。H. Albertという人の訳である。難解な箇所は、いろいろな訳を参照するとよさそうである。

氷上の訳本には次のように書いてあった事を覚えている。「ニーチェはルター訳の聖書に意識的に文体を似せてキリスト教を皮肉っている」そんなこともあり、ルター訳の聖書も準備する。これまた100円ほどでpalmbyte eBooks から入手する。これらの本が全部 kindle一つの中に入るのはとても便利である。時代は電子書籍の時代であろう。特に何冊も関連本を参照しながら何かを研究したい人はもう kindle しかないであろう。

さて、肝心のツァラトゥストラだが、『影をなくした男』よりは読みやすい。文章も短くて、また刊行されたのは、1885年とのこと。『影をなくした男』が1814年刊行であるので、70年ほど刊行が新しいので、その分読みやすいようだ。

さて、この本だが、ファンタジー小説としてみていくと、いろいろな欠点が見える。冒頭で主人公が登場するが、主人公の描写がない。単に30歳とあるだけで、大柄か小柄か、顔はどうか、痩せているのか、服は豪華か質素か、その雰囲気は、と描写をはじめたらよかったのに。読者に対して、主人公への愛着を持たせるべきだろう。

主人公は、die Sonneに対して、”Die grosses Gestirn! ….” と話しかけているが、ここは、die Sonneのほうも何か答えるべきだろう。なにか会話があって、読者は主人公の立ち位置が見えてくる。

いろいろと書いたが、この本、最後まで読めるかな、と思いながら読みはじめる。