2014-05-06

Hauff の童話第三集のDie Saga vom Hirschguldenを読み終える。話は首尾一貫していない。地元のいくつかの伝承や民話を集めただけのようで、起承転結が分かりにくい展開になっている。もっとも、それだから、素朴な味わいがあると言えば言えるのかもしれないが。ところで、このHirschguldenの意味が分かりにくくて、まず Guldenを辞書で調べると、16-19世紀にかけてオランダ・ドイツ、オーストリアで流通した金と銀の通貨と記されている。このストーリーでは、地名でもありお金の名前のようでもある。

no.835に次のような文がある。und tranken sich zu, bis der Hirschgulden voll war. 「お金の限り飲み尽くそう」というような意味か。支払いのときになり、Dann stand Wolf auf, zog das Silberstuck mit dem springenden Hirsch aus dem Wams, …とある。ネットで調べるとHirschguldenなる硬貨があり、その表面には、飛び跳ねるのではなくて(springenden)、休んでいるシカの姿が彫られている。とにかく、この語 Hirschguldenだが、だいたいお金の意味のことであると同時に、お城の固有名詞としても使われているようだ。

Kunoの父親の口癖が、Weiss schon, dummes Zeug であった。「分かっている、くだらん」という風に訳す事ができるのか。罵倒の言い方、おそらくこの地方のこの時代だけの罵倒表現であろう。

ドイツ語は名詞は大文字で記す。そのために、固有名詞が続出する小説では難儀をする事が多い。人名で同時に普通名詞とも解釈される時は、どちらの意味で使っているのか、しばし考える必要がでてくる。以前、ケストナーの小説を読んだときに、これで苦労した。たくさんの人名がインプットされているドイツ人ならば、即座にこれは人名と見極めることができるだろうが、外国人はそのような訳にはいかない。文脈で判断するのであるが、それには時間がかか。

エジプトのヒエログリフでは、王の名前は cartouche という囲みがしてあり分かりやすい。ドイツ語も人名は cartouche (Kartusche)で括ってほしいものである。