2014-04-02

三好助三郎『新独英比較文法』はとても便利な本である。p.74では、2格支配の前置について、もともとは名詞から生まれてものであり、依存する名詞の関係(名詞が二つ並んだら一つは2格である)から生じたと述べてある。jensites des Flussesはauf jener Seite des Flusses から、statt des Vaters は an Statt des Vatersから起こったそうである。なるほど。

先般、三格支配の entgegenが前置される場合と後置される場合の違いについてブログで言及したが、この本の p.75-6では次のようにある。「前置詞は、その名前が示すように、支配する語の前に置かれる。しかし前置詞は副詞から添加したものであるから、本来は支配する語の後ろに置かれた。今日もよく用いられるden ganzen Tag uber; die ganzen Nacht durch には副詞から前置詞への移行段階が見られる。したがって前置詞も副詞的な性格を持つものは、文のリズムから後置せられて後置詞として用いられる。」

なるほどと思う。しかし、後置された時も、前置された時も、意味は同じであろうか。「文のリズム」を理由にするのは何も答えていないことになる。歴史的には前置へと移行しているから、前置されたら少しモダーンな感じがして、後置されたら古い語感がするということか。情報構造では、歴史から説明するのではなくて、文の意味の必然性から説明されるべきなのだが。

前島儀一郎『英独比較文法』大学書林 1952年刊、p.59には次のような記述が見られる。「前置詞の最古層は場所の副詞に遡り、これより原由・時間の副詞が生じた。かかる副詞が後に動詞より離れて名詞と密接な関係を有するに至って、遂に現今のような前置詞となった。英語のVerb-Adverb Combination (put up, set out等ーA.G. Kennedyの用語)やドイツ語の分離動詞はその中間過渡的な過程にあるものと解することができる。」

英語の句動詞やドイツ語の分離動詞は、前置詞の部分が動詞よりより離れていき、独立的になるという意味であろう。上の文の「中間過渡的な」という意味がよく分からない。歴史的にという意味だろうか?唯、英語の句動詞はきわめて造語力が強いし、むしろ動詞との一貫性を強めている。意味的に独立した副詞が前置詞を経由して動詞の一部へとなりつつある過程だと考える方が妥当ではないか。