Zarathustra を読むのを中断した。理由はあまり面白くないからだ。ニーチェがなにやら、超人について論じている。英語との対訳本を読んでいたのだが、正直言って、読み続けるのは苦痛だ。

それで、他の本を読もうと考えた。読みかけであるが、『アンデルセンの童話集』の続きからを読んでみることにした。以前、4分の1ほど読んだので、Die roten Schuhe (赤い靴)の話から読んでみる。

赤い靴とはなにやら、童謡を思い起こさせる。横浜の山下公園には、赤い靴を履いた女の子の銅像がある。でも、これは大正期に作られた日本の童謡であり、アンデルセンのお話とは関係ない。

さて、肝心の話だが、まずしい少女がいて、夏は裸足で、冬は木靴を履いていた。und mußte im Sommer immer barfuß, und im Winter mit großen Holzschuhen, (no.1900)

ここで、貧しいから großen Holzschuhen を履いていたとあるが、これは意味はどちらにかかるのだろう。貧しいから木靴を履いていたのか。貧しいから体に合わない大きな靴を履いていたのか。

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靴屋さん(Schuhmacherin)がいて、赤いぼろきれから赤い靴を縫った (von alten roten Tuchlappen ein paar kleine Schuhe)。そして貧しい女の子はそれを履くようになる。ここで分かるのは、木靴よりもぼろきれの靴の方が高く評価されている点である。

Just an dem Tage, als ihre Mutter begraben wurde, bekam sie die roten Schuhe … (no.1900)とある。この最初の Just という単語に迷った。「ちょうど」という意味で、英語と同じスペルである。ただし、文語のようであるので、現代は死語になっているようだ。

この上の文の続きだが、… und zog sie zum ersten Male an; se waren ja freilich zum Trauern nicht recht geeignet, とある。まず、freilich は英語のfreely からの連想で「自由に」と解釈してしまいがちだが、これは後続のaber と対になって、「たしかに〜であるが」の意味になる。「赤い靴は葬儀には確かに向かないが」の意味だ。

また、この文の最初のsie と次のsieだが、最初のsie は女の子の意味だろう。ein kleines Mädchen なので、代名詞の es で受けるかと思うとそうでもないようだ。