2015-01-30

私が昔よく読んだ本として、Grimms MärchenⅠ(大学書林,1978)とGrimms Märchen Ⅱ(大学書林, 1978)という対訳集がある。グリム童話集から5,6編ほど編者が気に入った話を掲載している。そして、語注をつけ、ドイツ語、英語が対訳になっていて、巻末に日本語の訳も付いている本である。それぞれが130ページぐらいの薄い本であるが、私のドイツ語の勉強にはとても役立つた本であった。今は、アマゾンで見ても、古書でももう入手は難しいようだ。

編集したのは万足卓(まんそくたく)という人である。この人の訳したハイネ詩集を読んだことがあるが(この詩集は実家のどこかにあるが、今手元にはない)、日本語に訳す時に、脚韻までなんとか日本語に取り入れようとしたのであった。そのために、詩自体はなにか不自然な感じになったが、脚韻を日本語まで取り入れようとするこの人の態度に驚いたし、感心もした。

Grimms MärchenⅠのはしがきの部分が素晴らしい。それではしがきの前半をここに紹介する。

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 一冊の本は一回やそこら読むだけでは足りない。それで済むような本なら、そもそも読まない方がいい。特に語学の本においては、なおさらそうである。文法的に解釈してそれで済むのではない。むしろ勉強はそれからである。つまり、そこへ住み込み、目に見えないものにもだんだん馴染んで、とうとうそこを懐かしい故郷のようにしてしまうこと。
 その意味ではGrimmがなによりである(詩ではもちろんHeine!)。試みに何回も何年も読んでもらいたいーー 声をたてて。読むたびに舌が円滑になり、すーすーと胸がすいて、身が軽くなる。これはとても作って書かれた言葉ではない。みずから呼吸をしている言葉である。さてこのようにしてドイツ語と呼吸を合わし、ドイツ語で呼吸をするようになったら、もうしめたものである。それは単なる知識ではなくて、もう命が始まったのである。小さくても命は命!生きているものならば日夜成長する。そして言葉とは生きたものなのである。(以下、省略)
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はじがきのこの部分に私はとても共鳴した。「読むたびに舌が円滑になり、すーすーと胸がすいて、身が軽くなる」の箇所などはうまいことを言うなと感嘆した。さて、この本の各物語の解説だが、グリム童話集の初版本はまだ生硬で、朗読に耐えない箇所もあると述べている。万足卓は初版本も十分に読みこなして、最終版と比較した上で述べているので説得力はある。

「カエルの王様または鉄のハインリッヒ」Der Froschkönig oder der eiserne Heinrichという話に関しては、私は初版の話が簡素でいい、最終版はごちゃごちゃ書いてあると批判したが、万足卓は全く逆の意見である。Grimms MärchenⅠ(p.106)には、「色も匂いも響きもない、共同研究的なドイツ語である。お姫様が一番末で、一番美しいということさえも書いてない。話はもとのままでは、このようにキズだらけだったのかもしれない」と述べている。

万足卓はこの話の面白い点を「しかしこの話で特に面白いのは、恋を知っているカエル氏と、それをまだ全然知らないお姫様との、とんちんかんな関係が、それとなく物の見事に描かれていること。ほかほかしている」(p.105)と述べている。言われてみれば、たしかに最終版では、Ich bin müde, ichi will schlafen so gut wie du: heb michi herauf, となって性的な関係を明らかに匂わしている。お姫様の拒絶、これらは二人の「とんちんかんな関係」を示しているのか。うーん?万足卓ほどの達人ならば、すべてをお見通しだろうが、私のドイツ語理解程度では、道はまだまだ遠そうである。