2015-01-26

グリム童話集だが、ネット「グリム童話集の一覧」を見ると、143話までは、いろいろな人からの話を聞いてそれを記録しているが、144話からはだんだんと、そのころに公刊されていた書籍などから話を取ってきている(これは著作権という視点からどうなるのか)。私が読んだ感じでは、144話からは文体とか話のトーンが変わってきているということはないようだが。グリム童話集のオリジナリティという点でこのことは気がかりである。

グリム童話集の197話はDie Kristallkugelである。ある時に魔法使いがいた。彼女には三人の息子がいた。魔法使いは息子たちが自分の魔力を奪うと考えて、長男をワシに次男をクジラ(Walfisch)に変えてしまう。三男は変えられる前に逃げ出す。森で巨人が争っているのに出会う。そこで仲裁を頼まれる。巨人は人間は頭がいいからと言う。die kleinen Menschen sind klüger als wir, (no, 10659) グリム童話集のテーマの一つ「巨人は頭が鈍い、小人はずる賢い」がここにも見られる。そして、三男が「黄金の太陽の城の前に行ければ」と言葉を発すると、突然その通りになる。(何の伏線もなしに、発した言葉通りに願いが叶う、これはかなり無理なストーリの展開であるが)

城の中に入り、お姫様と会うが、かなり老け顔である。王女は自分の本当の姿はもっと美しいと言うので鏡の中の姿を見ると確かに美しい王女である。王女にかけられた魔法を解くためには、泉のそばの牛(Aueroschse)と戦い、牛から飛び出す鳥を捕まえて、その中にある卵を取り出し、その卵の中にある水晶の玉 Kristallkugel を入手する必要があるという。兄弟であるワシとクジラの助けを得て、見事水晶玉を手に入れて、三男は王女と結婚して、兄弟も元の姿に戻るという話である。

第198話はJungfrau Maleenである。この物語の特徴的なことは、主人公の名前である Maleenという 固有名詞が使ってある点である。それまでは、単に王子、王女、太鼓打ち、金持ちの商人というふうに普通名詞が使ってあった。それゆえに時代を越えた、普遍的な時間内に生じていることになる。しかし、Maleenという固有名詞を使うと、 歴史という制約された時間の中の話である点はグリム童話集の中で特異である。

Maleenという王女がいた。ある王子を好きになって、父王の勧める結婚を断ったので、父王から罰として真っ暗な塔の中に閉じ込められる。7年目に塔に穴を開けてそこから脱出する。自分のいた城や町は破壊されている(なぜかその理由は記されていない)。それで放浪の末にある国に行き、そこで料理女として働くことになった。

そこの国の王子は、実は昔愛し合っていた王子であった。その王子は花嫁を迎えて結婚することになった。その花嫁は die ebenso häßlich von Angesicht als bös von Herzen war. (no.10709) である。花嫁は醜い自分の姿を結婚式で晒すのを恥じて、Maleenに花嫁の代役をお願いする。教会の結婚式で人々はMaleenの美しさに驚く。結婚式の途上でMaleenは謎めいた言葉を幾つか言う。例えば次のような言葉である。古い言い方(方言?)のようである。

Brennettelbusch, Brennettelbusch so klene,
wat steist du hier allene?
ik hef de Tyt geweten,
da hef ik dy ungesaden
ungebraden eten.  (no. 10772)

どんな意味か分からない。グリム童話集の中で台詞の部分は時々古い言い方を残してある。地の文は新しい言い方に変えていくが、台詞の部分は要は引用文なので、引用された時の古い形をそのまま残してあるようだ。あるいは、台詞は朗読されることが前提であるので、韻などの音楽的なリズムを変えるわけにはいかないので、そのままにしてあるのか。とにかく私には意味は理解できないが、「泉のそばでなぜここで一人なの」というような意味ではないか?

いろいろなことがあったが、王子は美しいMaleenを思い出して結婚することになる。醜い花嫁は首を切られることになる。(このあたり、グリム童話集の「醜い容姿は醜い心と結びつく」という考えが現れているが、こんな話は当時であったから可能だったのだろう。今、このようなテーマを露骨に書くわけにはいかない。しかし、考えてみれば、現代の小説やドラマや映画でも、「美人は美しい心の持ち主で幸せになる」という相変わらず同じテーマである。もちろん、露骨さは薄めているが。

グリム童話集には、中年の平凡な容姿の女性や、子育てで長く苦労した女性などは登場しないのか。平凡な商人の仕事の苦労話などはないのか。子供のおとぎ話は、美しい王子と王女の登場する話しか許されないのか。