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芥川龍之介の全集を順番に読んでみる。昨日は、「偸盗」(ちゅうとう)を読んだ。盗賊の群れに身を投じた太郎と次郎の兄弟と彼らの恋人である沙金という女性が物語の中心人物だ。
この3人の人間模様を中心に話は動く。銭形平次の捕物控とも話の構成は似ている。違いはどこにあるのか。
銭形平次は徹底的に中年男のエンターテイメントに徹しようとしている。悪口を言えば、商業資本主義に徹底的に呑み込まれている。出てくる女性は清純な美女か、官能的な悪女かのどちらかのパターンである。
一方の『偸盗』では、沙金という女性が出てくる。彼女は悪役である。官能的、悪魔的、絶世の美女である。その女性が太郎次郎の兄弟を翻弄する。しかし、兄弟は沙金という女性の悪巧みに気づいて最後には仕返しをする。
銭形平次と比べると、偸盗では、人間真実への洞察が徹底的に深いと言えよう。もちろん、エンターテイメントの要素はあるのだが、読み終わったあとで、何かが残る。人生について一つ利口になったという気がする。
野村胡堂では、銭形は楽しみの小説だと割り切ってあんまり複雑な人間性にはあえて触れていない。勧善懲悪の単純な物語であるがゆえに、我々は安心して読むことができるのだ。
さて、芥川の作品群、年代順に並んでいるのだが、彼の成熟度には驚く。天才は20歳ぐらいで、その頂点に達してしまうのだ、ということがよく分かる。
芥川は古今東西の文献に親しみ、それらを再解釈しながら、彼自身の哲学を語っている。その哲学はしだいに厭世観と結びつき、やがては彼を死に至らしめる。その道しか彼は取りようがなかったのだ。