2015-01-11

第151話はDie zwölf faulen Knechteである。12名の男たちが自分がいかに不精か自慢をする話である。

第152話はDas Hirtenbübleinである。この話は面白い。一休さんのとんち話と似ている。賢いと評判の牧童に王様が3つの質問をする。第1は、「海には水が何粒あるか」すると「まずすべての海に流れる川をせき止めてくれ、すると数えられる」ととんちで切り返す。同様な王様の「空に星はどれくらいあるか」「永遠は何時間ぐらいか」の質問もきちんと答える。王様は感心して、牧童は王の養子となりその王国を継ぐことになる。

第153話はDie Sterntalerである。貧しい女の子が自分の持っているものをすべてより貧しい人にあげたら天からご褒美にお金(Taler)が落ちてきて、そのお金で貧しい女の子は生涯豊かな生活をしたという話。

第154話はDer gestohlene Hellerである。くすねた銅貨が気になって成仏できていなかったその家の子供を成仏させる話である。

第155話はDie Brautschauである。3人の娘のどれと結婚しようかまよった男が母親のアドバイスに従って誰が一番賢いか見極めてその女性と結婚したというお話。

第156話はDie Schlickerlingeである。女と結婚しようとした男がその女が不精であることを発見して結婚を取りやめる。その代わりに働き者の使用人の女と結婚する話。これは働けという道徳訓の物語か。

第157話は Der Sperling und seine vier Kinder である。親スズメが別れた子供スズメたちにどうしていたのか、世の中で何を学んだのか聞く物語である。

第158はDas Märchen vom Schlaraffenlandである。語り手がichであり、グリム童話集でははじめて、「私」という語り手が出てきた。言葉遊び、よく分からない。

第159話は Das dietmarsische Lügenmärchenである。これまた語り手が ich となる。矛盾がある。no.8838 では、3人の男が出てくる(Da waren drei Kerle)しかし、そのあと、一人はtaubであり、次はblindである。その次はstummで、最後の人はkeinen Fuß rühren とあって4名が出てくる。この矛盾はどうするのか。

第160話は Rätselmärchen である。3人の女が花に変身する。一人は夜になると屋内に行く。その花は恋人(ihr Mann)に「昼間に野原に来て、私を折ってくれ、すると私の魔法がとけるから」とお願いする。恋人は似たような花がいてどれがその人かわからないと言うと、私は夜は屋内にいるので夜露に濡れない。濡れてない花が私だと言う。

グリム童話集も後半のこのあたりの物語は短くて地味な話が多い。華やかな世間受けする話は前の方に持ってきて、後ろはあまり魅力的でない話を並べているようである。