2014-12-31

第118話は Die drei Feldscherer である。Feldscherer を辞書で引くと、素人の軍医、軍医の助手とある。(ちなみに、Scherer: 床屋などのハサミで仕事をする人、Schere: はさみ)3人の軍医見習いの話であり、腕前はあまり上手とは思えないが、実はかなりの名医のようである。

3人は宿屋にきて主人に自慢をする。腕を切り落としても翌日には元に戻す(anheilen)できる、同様に心臓と目を切り取ってもまたつけられると述べる。実証することになり、それぞれ切り落として、瓶(Flasche)の中に入れておく。管理を任された女中が夜中に恋人との語らいに夢中になっているすきに、猫がやってきてそれを持って行ってしまう。朝起きてそれに気づいた女中は困ってしまったが、近くの絞首台にぶら下がっていた盗人の手を切り取り、目は猫から抉り取り、心臓は地下室の豚から心臓をとってきて、何食わぬ顔で瓶に戻していた。

翌朝、見事にそれぞれを元の体にくっつけたが、それから3人の行動が変になる。手が自然と動いて人のお金を盗んだり、夜によく見えたりと、おかしいということで宿屋に戻る。(最後の箇所の解釈がよくわからないのだが、接続法第2式の文なので)彼ら3人は、本来の仕事を本当はしたかったのだが、宿屋の主人からお金をせしめて一生安楽に暮らしたということか。Es war für ihr Lebtag genug, sie hätten aber doch lieber ihr richtig Werk. (no. 7283)

第119話 Die sieben Schwaben はナンセンスな話である。7名のシュヴァーベン人が武者修行か冒険を求めて旅たつ。この物語は地の文はいいのだが、会話・対話の部分は古いドイツ語が使ってあって解釈に時間がかかる。例えば次のような文である。»gang, Veitli, gang, gang du voran, i will dahinte vor di stahn.« (no. 7310) これらの対話部分は韻が踏んである。この物語は口伝えに語られてきて、とりわけ対話部分は韻を踏むような形式へと洗練されていった、と考えていいのだろう。

7名が川と渡ろうとしてしたが、対岸の人々が何か(was)と思い、トリーアの方言(Trierisch)で wat? wat! と聞いたところ、7名は渡りなさい(wate)の意味かと思い、川に入って溺れ死んだ。こんなナンセンスな話も人々は面白がって語り合ったのであろう。

なお、人名の Hans は辞書を引いていたら、Johannes の短縮形とある。なるほど。


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ネットを見ていたら、栃木県の下野市にグリムの館http://www.grimm-no.net/index_p.htmという施設があることを発見した。面白そうである。来年はそこを訪問することを楽しみの一つにしたい。