2014-09-06

第95話 Der alte Hildebrand は、オーストリア・ドイツ語で書かれている。出だしは次のようである。Es war amahl a Baur und a Báurin, und dö Bäurin, dö hat der Pfarra im Dorf gern gesegn,… (no. 5999) たぶん、現代のドイツ語に直すと次のようだろう。Es war einmal ein Bauer und eine Bäuerin, und die Bäuerin, die hat der Pfarrer im Dorf gern gewesen.. とでもなるのか(?)。ネットで調べると、オーストラリア・ドイツ語の特徴の一つは、Ich を i と発音(表記する)ことである。たしかに、農婦に横恋慕した牧師が hetzt hab i was ausstudiet, (no. 5999) のように発言している。

自分は内容は理解できそうもないので、とにかく何とか英訳を見つけて読んでみる。牧師が農婦と仲良くしようとしたところ、夫が気づいて牧師を追っ払うというストーリーである。密会を楽しんでいた二人が歌を歌うが、牧師は、i wollt, er blieb da a ganzes Jahr, was fragt i nach dem Lorbersack. Halleluja! (no. 6043) (= I wish ‘twas a year before he came back, I’d never ask him for the laurel-leaf sack.) などと歌って楽しげである。これは喜劇にもなりそうで、寸劇としてアレンジしてもいいのではないか。YouTube で調べたところでは、現在のところはそのような劇はないようだ。

第96話 De drei Vügelkens も方言で書かれている。グリムの童話集はこのように時々は方言で書かれている。方言で採集することはどのような意味なのだろうか。グリム兄弟は、できるだけ原初のままの姿を残そうとしていると考えられる。しかし、内容的には不適な内容、不道徳な要素の強い内容は、後の版では書き換えている。グリム兄弟の態度は、言語は収集した当初の姿を残そうとしているが、内容は適宜変えていると仮定していいのだろうか。これは初版本を読まない限り分からないことだが。

さて、この話も方言で書かれているので、英訳を探して読んでみる。すっきりとしない話である。王妃の生んだ子どもを妹たちが捨てるが、最後は子どもたちは王家に戻りめでたしめでたしという話である。どうにも評価しづらい物語である。