ある若者が旅の僧から聞いた話を書き記すという形になっている。かなり幻想性の強い物語は主人公が体験するよりも、人から伝え聞いた話を書き記すという形式にした方がしっくりとくる。

この話のキーワードは、山奥、絶世の美女、水である。この点は『夜叉が池』とも共通性がある。

旅の僧は、若いときに、あるときに、修行のために飛騨の山越えをしたときの経験を話してくれた。事情に難儀な道であったが、何とか超えてゆくと一軒家がある。そこは異界である。

異界性を際立たせるために、絶世の美女と白痴の少年がいる。そして、不思議な動物たちがたくさんいる。これらはその場所が普通とは異なる場所であることを如実に示している。それは読者の好奇心をいやが上にも高める。

絶世の美女であるが、読んでいくうちに聖的な部分と魔性の部分があることに気づく。食事のもてなしの仕方など、優美で上品である。しかし、水を飲むために僧を川へ案内したときに、若い僧の身体を拭こうとして、若い僧を裸にする。そして、その美女も裸になるのである。妖艶な雰囲気が漂う。この部分がこの本の圧巻であろう。

人の住む山里からはるか奥の深山で、本来は居るはずがない美しい女性がいて、しかもこの世の者とも思われる美しさである。読む人は当然、これらの者が異形のものであることに気づくのである。

以下、この小説の魅力を上げると以下の点になるか。

(1)深山の描写が素晴らしい。自分も危険を顧みず歩いている気になり、ハラハラしてしまう。

(2)異界の持つ魅力、普段は俗界に住む我々も、このような異界を知ってみたいという好奇心を持ってみる。そのような好奇心を十分に満たしてくれる。

(3)女性の持っている聖的な部分と魔的な部分を示してくれる。そこから、我々男性は、すべての女性にはその両面性があるという点に気づく。

(4)明治の頃の風景や人々の暮らしを知ることができて興味深い。

ところで、小説にでてくる中心的な女性はすべて魅力的な女性ばかりである。まるで、女性は美女でなければ存在価値はないのだというメッセージを読者に伝えてしまう。男社会の価値判断を小説に持ち込んでいるわけだが、女性の読者からすると、このあたりは違和感をいだくかもしれない。