2015-03-06
Wind-up Bird を聴いている。主人公のトオル・オカダが enigmatic woman から電話を受け取るところから、話が始まる。パンドラの匣を開けたと筆者は述べている。この enigmatic woman の正体が最後まで明かされない。それは読者に想像を委ねられている。
また、3人の人間が井戸の中に入る。まず、マミヤ中尉である。彼は否応なしにそこに飛び込まなければならなかった。そして主人公である。彼は考えるためにである。そして、クリタ•タカノの奥底に入る。彼女も何かを考えるためにである。3人が井戸に入る意味は何か。普通の小説だと何かの理由を示してくれるのだが、それもない。
毎日、iPodでこの話を通勤の時間、行き帰りで30分×2で合計1時間ほど聴いている。そして、飽きない。これらの謎を解くことが面白い。そして、筆者がその謎を解いてくれないことを知っているので、読者は自分でその謎を解かねばならない。
通常のミステリーならば、すべてを筆者が構成していてくれて、謎は何か、そしてその答えも示してくれる。読者は筆者の手の上で踊らされるだけである。筆者が創造に参加する機会はあり得ない。しかし、ハルキ・ムラカミの作品は、読者が参加する機会をたくさん与えてくれるので、読者も楽しい。もちろん、この方法に反発する読者もいるだろう。
読者は容易に共鳴する人を見つけることができる。自分は主人公のトオル・オカダである。そして、彼は井戸の中に入り、そこでロープを引き上げられて、死ぬかもしれない可能性に直面する。しかし、クリタ・タカノがロープを投げ入れてくれて助かる。ここに自分は着目して、この物語を主人公の死と再生の物語と解釈する。主人公の通過儀式が描かれていると解釈する。井戸の中での死と直面、愛する妻との別れ、巨悪のノボル・ワタヤとの対決と巨悪の死などが通過儀式の要素である。
もちろん異なる風に解釈する人もいる。女性の読者は妻のクミコ・オカダに共鳴したり、あるいはクリタ•タカノに共鳴して、それぞれの物語を読み取るだろう。読者による再構成、再構築を促すという点がハルキ・ムラカミの小説の魅力である。あるいは、再構成、再構築のための格好の材料を提供してくれるという点が彼の小説の魅力であろう。
さて、もしもこの物語が数千年前に生まれていたら、口承文芸作品として生まれていたら、どうなったか、一種の伝言ゲームとして、発展していくだろう。そして、つじつまが合わないところは、徐々に合うように修正されていき、ついには、筋の通った物語になっていく。集団が口伝えで伝えていく文芸は万人の知恵、想いが込められているので、最終的には非常に完成度の高いものになっていく。その変貌を自分は、『オデユツセイア』や『新約聖書』に見るのである。