『銭形平次捕物控』を相変わらず読んでいる。女性の描写について感想を述べたい。

自分は男であるので女性に対してステレオタイプ的イメージをいだいていた。つまり、美しい女性は心が清らかであり、やさしくて、知性もある。一方、美的に劣る女性は、反対に、心も曲がっていて冷たい。そんなイメージをいだいていた。

しかし、自分は長い人生経験を経ることで、顔の美醜と心の美醜は関係ないことを知った。心が優しい人、穏やかな女性、愛嬌のある女性、それらは外見とはまったく関係しないことを知った。賢くなったのだと思う。

しかし、銭形平次捕物控を読んでいくと、世の男性の持っているステレオタイプを助長するような構成になっていることに気づく。

捕物控では、必ず、絶世の美人が登場する。気立ては優しくて、上品で、慎ましやかな人である。そんな女性に災難が襲いかかる。主たる読者である中年の男性はたちまち同情して、この物語がどのように展開するか興味を持ってしまう。

悪役となる女性は、二つのパターンがある。一つは、「醜い女性」だ。強盗団の一味である悪役などはこんな風な女性が登場する。もう一つは、妖婦だ。美しいけれども、官能的な女性である。平次を誘惑しようとしたりする。

物語の初めの人物紹介の時点で、女性に関しては、誰が悪人であるかは分かってしまう。だが、男性は当初は悪玉・善玉はよく分からない。男前でも犯人であったり、醜男でも善人であったりする。男に関しては、当初は誰が犯人かは分からない。

純文学では、女性に関して、これほどあからさまなステレオタイプは提示されない。しかし、エンターテイメントである大衆文学、捕物控では許される描き方なのだ。

もっともそのような描き方をしないと売れないから、大衆小説作家は、このようなステレオタイプ的イメージを取り入れる。

現代の捕物控も読んでみたい。女性に関して、やはり、ステレオタイプ的な書き方をしているのか。あるいは筆者が女性の場合の女性の描き方などはどうするのか知ってみたい。