Zarathustra は人々に語るのだ。glaubt denen nicht, welche euch きぼ reden! (no.281)

そして、Giftmischer sind es, ob sie es wissen oder nicht. と述べている。ここで、Gift という単語についてしばらく考えてみたい。英語の gift は贈り物であり、ドイツ語は毒の意味なので、この両者の意味の違いがよく話題になる。

これは同じ語源であり、give, geben から由来する。なぜ、geben からGift の意味が生じたかについては、うろ覚えだが、次のようなことを聞いたことがある。

「昔、君子が部下に名誉ある死を賜る時は、毒を贈ったという習慣からgeben-Giftの意味が生じた」そうだ。それでそのことを確かめたくて、Wikipedia を調べてみた。

「賜死(しし)とは、死刑の一種。君主が臣下、特に貴人に対して自殺を命じること」とあり、以下のような文もある。

李氏朝鮮においても高級官僚には賜薬の制度があった。また、古代ギリシアでは市民を死刑に処す場合、ドクニンジンをもって死を賜っており、ソクラテスの例がよく知られている。

李氏朝鮮にはあったようだ。ゲルマンの世界にもその習慣があるのか、と思って調べたが見つからない。おそらくドイツにもこのような習慣があったのであろう。だが、たしかなソースは現段階では見つからない。これは今後の課題である。

さて、話を戻すと Zarathustra はこの世を超えた希望について(von überirdischen Hoffnungen)幻影を抱くなと述べている。

Verächter des Leben sind es, Absterbende und selber Vergiftete, (no.293)である。宗教を信じることは、生を軽蔑すること、死につつあること、自分で毒を盛ること、だと述べている。

ニーチェの洞察力は素晴らしいと思う。この当時のestablishment として教会と国家が結びつき、人々の心にはキリスト教精神が深く根ざしていた。これらの根本にある腐敗を見抜き、虚偽を告発している。