異文化の森へ

stand の訳し方 (The Raven)


ポーの The Raven という詩だが、第3連の第3行目に次のような文がある。

So that now, to still the beating of my heart, I stood repeating …. この下線部のの訳であるが、Baudelaire では、je me dressai, répétant ….「立ち上げって、繰り返し呟いた」と仏訳してある。一方の Mallarmé では、je demeurais maintenant à répéter … と「つぶやき続けた」と仏訳してある。

Baudelaire では、se dresser と和訳してある。それは「立ち上がる」の意味になる。なお、余談だが、フランス語の dresser と英語の dress の関係は次のようだ。dresser は元々は「立ち上げる」の意味であったが、英語ではそこから 「まっすぐにする」→「整える」→「服を着る」の意味に変貌したのであった。そして、英語では、「服を着る」の意味になったようだ。

Baudelaire では、stood repeating では、stoodを「立ち上がる」の意味で捉えている。ネットで調べた日本人による和訳もほとんどが「立ち上がる、立ち尽くす」というような訳を与えている。

Mallarmé では、このstood を「立ち上げる」ではなくて、「〜の状態を続ける」の意味で解釈している。stand は次に形容詞や分詞を伴って「〜の状態である」つまり stand empty, stand open のように「開いたままだ」のように使われる。

そのために、Mallarméは仏訳するに demeurer という語を用いた。このdemeurer は「とどまる」「〜のままにいる」の意味である。maintenant は「今では」の意味ではなくて、maintenir の現在分詞で「維持する」「固定する」の意味だろう。つまり「つぶやき続けている」の意味になる。

年代的に考えて、Baudelaire の和訳の後に Mallarmé の和訳が出た。彼は当然、先人の訳を参照しているであろう。そして、stand に se dresser の訳を当てた Baudelaireの訳は採用せずに、代わりに、demerurer という訳を与えた。

Mallarmé の仏訳の方が正しい、と私は考える。 

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