異文化の森へ

妻 Germaine の考えること

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フランス語の本の新しいページを開く時は、いつもふと不安になる。新しいページには自分の知らない単語がたくさん出てきて、理解できないのではないか。読むことができないのではないか。でも大抵は杞憂だ。ほとんどが知っている単語で、スラスラ内容が頭に入ってくる。その時は嬉しくなる。

英語だともうかなりの本を読んできた。わからない本はない。たとえ、知らない単語があったとしても、かなり特殊な単語で覚える必要もないようなマイナーな語である。その語がわからなくて、内容がわからなくなることはない。

ドイツ語の本ならば、これはかなり構えて読み始める。暗号解読と言ってもいい。わからない単語だらけである。もう辞書を丹念にひきていく必要がある。一時期は結構読めるところまで行ったのだが、この数年ブランクがあったので、またレベルが初心者レベルに戻ってしまったようだ。ドイツ語はこれからは必ず数ページでもいいから、毎日読んでいこうと固い決意を決めた。このところ計画通りに順調に進んでいる。

さて、今は、Maigret et les petits cochons sans queue を読んでいる。今までのところは、Maigret は出てこない。これまでのシリーズはMaigret の視点から描かれていて、読者は彼と一緒に謎解きをしていくのだ。でも、今回の小説は、犯罪者の妻の視点から描かれている。登場人物は妻 Germaine と夫 Marcel と父と母である。なにやら複雑な家庭の事情があるようなのだが、それが徐々に開示されていく。読者はその開示された部分を読むことで、次第に秘密を知っていくのだ。

さて、妻は夫が泥棒らしいことを知っても、嫌いにはならない。むしろ愛情が深まるようである。怪我をしている夫は自分を必要としているはずだと確信する。

… qu’elle n’arrivait pas à désespérer, qu’il y avait malgré tout en elle une sorte de joie: parce qu’elle le découvrait tout petit, et qu’il avait besoin d’elle. (p.54) 

妻の夫への愛が感じられる。絶望どころか une sorte de joie を感じているのだ。さて、このような描写は Maigret を主人公にしては描くことはできない。やはり、妻を主人公にしなければならない。

さて、Magiret シリーズは好評だっただったとしても、作者 Simenon からしたら読者に飽きられることが一番怖いわけだ。このように主人公を時々は変えて作品を書いていくことも必要なことだと思う。

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