異文化の森へ

老人への偏見がすごい。


C.S.Lewis によるNarnia国シリーズの独訳、Der Ritt nach Narnia を読んでいる。主人公のShastaはAravis というMädchen と出会う。これから一緒に旅をするだろうと思う。

さて、Shastaは奴隷として売られる寸前に逃げてきた。そして、Aravis も気乗りしない結婚から逃げてきたのだ。

継母が彼女を厄介払いしようと彼女を老人の花嫁にしようと画策したのだ。ただ、その老人の形容がかなりひどくてC.C.Lewis はこんな偏見を持った描写をしていいのだろうかと思ってしまう。

Ahoshta という老人は以下のように形容されている。

(p.35) Dieser Ahoshta nun ist von niederer Geburt… このnun はどのような意味なのか、「とにかく、何といっても」と言うような意味だろう。「このAhoshataは、何といっても、卑しい生まれなのである」 この本が書かれた1950代ならば許された表現だが、現代では人物を出生で評価するのは好まれない。

彼の形容は続く、…wenngleich er sich in den letzten Jahren durch Schmeichelei und bösen Rat die Gunst des Tisrocs erschleichen konnte… と続いてゆく。権力を伸ばしてきたのは、彼が有能であり、力があった証拠である。

そして彼の肉体と年齢の描写が続く。Außerdem ist er mindestens sechzig Jahre alt und hat einen Buckel, und sein Gesicht ähnelt dem eines Affen. という具体である。

「少なくとも60歳だし、背中にコブがあり、猿に似ている」ので、Aravis は逃げてきたのだ。ちょっと失礼な話だが、今、評判の前澤友作社長を思い出した。43歳の前澤社長は大金持ちで、そして猿に似ている。そして、若い芸能人(剛力彩芽、26歳)と恋人同士である。前澤社長が極めて有能であることは否定できないであろう。容貌が冴えなくても実力があれば女性はついてくる。

とにかく、C.S.Lewis のAhoshtaへの形容は悪意がある。彼が生み出した人物であるが、童話であり、典型的な悪として描くのだが、「猿に似ている」などの表現を用いる手法は、あまり好きでないな。 

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