異文化の森へ

第3話 Marienkind

第3話は Marienkind である。この話をどう解釈したらいいのか。ある時に貧しい木こりの一家が住んでいた。そこへ若い女性(Jungfrau)がやってきて三歳の娘を貰い受ける。若い女性は天からの使いであった。彼女は3歳の娘を大事に育てていく。彼女が14歳になった時に、Jungfrau はしばらく旅に行くが、その時に次のように言う。

13の鍵を渡して、「このうちの12のドアは開けてもいいが、最後の1つは開けてはいけない」と告げる。ここで疑問が生じる。そもそも、開けていけないドアの鍵を渡すなんておかしいではないか。それならば、最初から渡さなければいいと思う。しかし、そうなると物語として成り立たなくなる。

禁止するがゆえに好奇心が高まる。その人が禁止に打ち勝つだけの克己心を持っているかどうかが試されているのである。世界の各地でこの種の禁止の話がある。聖書の創世記でも食べてはいけないリンゴの木を示したのは神である。

あるいは禁止することで、そのものがより魅力的になるのである。男女交際を禁止すると、禁止されているがゆえに、人目を忍んで交際をしたくなる。それは禁止がもつ魅力であろう。より魅力的にするために、わざと禁止という要素を示す。女性が意中の男性からのデイトの誘いを受けても、自分の魅力をより高めるために、一回は禁止(断る)という要素を入れることがある。

この話では、Mädchen はもちろん禁止を破って部屋の中を覗く。それが見つかり、罰として地上に戻される。しかし、地上で王様に見初められて、王妃となる。天の使いの die Jungfrau Maria との間であれこれやりとりがあったが最終的にはめでたくすべて収まるという話である。

元来はグリム童話の主体は女性であったのではと私は考える。女性のための女性によって語られる話だ。それが初版ではその要素がよく出ている。自分は貧しい、しかし何かの運によって王妃になっていく。そのようなたくさんの貧しい女性の願望がこの童話集を形成したのではと考える。

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