異文化の森へ

Rapunzel の初版と最終版の比較

2015-05-03

グリム童話集の Rapunzel は初版(1812年)と最終版(1857年)では幾つか異なる。特に、初版の持つ性的な要素を省いたことで知られている。以下、箇条書きで比較をしていく。Wikisource にはこのお話のすべてのversion が載っているのでそれを利用する。http://de.wikisource.org/wiki/Rapunzel?uselang=ja

(1)初版では魔女は Fee とあるが、第2版(1819年)以降では Zauberin となっている。Fee というラテン系の語が Zauberin というゲルマン系の語に変わったのは、ドイツ語の純化運動と関係するのだろう。ネットで見てみると、Hexe, Zauberin, Magier はどう異なるか質問がされている。

(2)関連して、ヨアヒム・ハインリヒ・カンペ (Joachim Heinrich Campe)のドイツ語純化運動について知りたいと思った。ネットで調べると、「十八世紀ドイツ語純化論の成立とその社会的意義 : ヨアヒム・ハインリヒ・カンペを例として」吉田耕太郎著という論文があった。いろいろと参考になる。http://repository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/23852/1/ifa005026.pdf
グリムの時代には、ドイツ語の純化運動があり、グリム童話集の各版を比較すると、その影響が見られるだろうというのが私の目論見であるが、上記の論文には、それに関しては触れてなかった。

(3)Rapunzel が妊娠したことを暗示する部分は以下の通りに変更されている。
初版:„sag’ sie mir doch Frau Gothel, meine Kleiderchen werden mir so eng und wollen nicht mehr passen.“
1819年版:sag’ sie mir doch Frau Gothel, sie wird mir viel schwerer heraufzuziehen als der junge König.“
1837年版:„sag sie mir doch, Frau Gothel, wie kommt es nur, sie wird mir viel schwerer heraufzuziehen, als der junge Königssohn, der ist in einem Augenblick bei mir.“
最終版:„sag sie mir doch, Frau Gothel, wie kommt es nur, sie wird mir viel schwerer heraufzuziehen, als der junge Königssohn, der ist in einem Augenblick bei mir.“
2版である1819年版からすぐに変更されている。初版の意味は、「服がきつくなってきた」ということで、妊娠していることをはっきりと表す。しかし、最終版などの意味はわかりづらい。「あなたを引き上げるのはとても重たい、若い王子様よりも、その人はちょっとの間だが、私と一緒にいた」となるのだろう。この表現では性的な意味を完全に消している。

(4)王子が塔から飛び降り命は助かったが「目は落っこちて」しまう。初版は Da wurde der Königssohn ganz verzweifelnd, und stürzte sich gleich den Thurm hinab, das Leben brachte er davon, aber die beiden Augen hatte er sich ausgefallen, となっている。最終版では、Der Königssohn gerieth außer sich vor Schmerz, und in der Verzweiflung sprang er den Thurm herab: das Leben brachte er davon, aber die Dornen, in die er fiel, zerstachen ihm die Augen. Da irrte er blind im Walde umher, となっている。落ちた時にいばらが目に刺さり、失明したとあって、より物語らしくなっている。

(5)Rapunzel に会えると塔を登ってきた王子は意外と魔女と出会う。ここは、初版では、allein wie erstaunte der Prinz, als er statt seines geliebten Rapunzels die Fee oben fand. となっているが、最終版では、Der Königssohn stieg hinauf, aber er fand oben nicht seine liebste Rapunzel, sondern die Zauberin, die ihn mit bösen und giftigen Blicken ansah. となっている。ラテン系の Prinz からゲルマン系の Königssohn へと変更されている。これも純化運動の影響だと考えられる。

(6)初版ではあまりに話が簡素である。最終版ではいろいろと加筆されていて、お話らしくなっている。自分の趣味として、簡素な話を好むが、Rapunzel に関しては、初版は、あまりに簡単すぎる。とりわけ、王子が失明してRapunzel と出会うまでが数行ぐらいで説明してある。ここは大切な部分なので、長く引っ張って読者に二人は会えるのかどうかハラハラさせないといけないと思う。

(7)Wikepedia の「ラプンツエル」の箇所に以下のように書かれている。「ラプンツェルは「ちしゃ」と訳されることがあるが、本来はキク科のレタス(ちしゃ)ではない。ラプンツェルと呼ばれる野菜はオミナエシ科のノヂシャ、キキョウ科のCampanula rapunculusなど複数存在する。妊婦が食べるのによいとされる植物である。」ここから、自分の想像だが、この物語の原初形態は、妊婦に良いとされるラプンツエルという野菜の因縁話だったのではないか、なぜ妊婦にいいのかの説明のための話が拡大したと考えられないか。

(8)この話は、Wikipedia によれば、「フリードリヒ・シュルツ 『小説集』(1790年)から収録されている。シュルツの小説はさらにフランスのド・ラ・フォルスの妖精物語「ペルシネット」 (Persinette) の翻訳であったことが明らかになっている。」そうだ。Wikisource には、im Pentamerone II, 1. (Petrosinella), wo vieles anders und besonders die zweite Hälfte lebendiger ist, als im deutschen Märchen. Dieses hat schon [IX] Friedr. Schulz in s. kleinen Romanen Bd. 5. Lpz. 1790. S. 269-88. nur zu weitläuftig erzählt, wiewohl ohne Zweifel aus mündlicher Sage. Wie weit übertrifft es dennoch seine übrigen Märchen! Eins in Büschings Sammlung hat anfangs S. 287. einige Züge aus dem unsrigen, geräth aber bald nachher heraus und in den französischen Stil. とある。意味はよく分からないが、この物語の出典について述べてあるようだ。

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