異文化の森へ

168~170

2015-01-13

第168話は Die hagere Liese である。始めになぜか 第164話に登場した faule Heinz とdicke Trine について言及される。これはお話ではなくて、断片、日常の一断面というところか。Liese とLenzという夫婦が牛を購入したらミルクを夫が飲んでいいかどうかということで喧嘩を始めて、妻は喧嘩疲れで寝てしまったという話である。

第169話はDas Waldhausである。木こりが森の奥で仕事をするのに、途中で昼飯を持ってくるように妻にお願いする。妻は長女に食事を運んでいくように言う。夫はどこで仕事をしているかわかるように途中でヒエの実を撒いておくという。(このあたり、ヘンゼルとグレーテルの話に似ている)しかし、ヒエの実を森の動物たちが食べてしまい、食事を運んできた長女はその場所を見つけれらない。すると森の家(Waldhaus)を見つけてそこに泊めてもらうことになる。その家には老人と3匹の動物がいた。長女は老人にだけ食事を作り、動物は無視する。そして、ベットで寝ているときに、老人がきて、長女を地下の部屋に閉じ込めてしまう。

次女も同じようなシナリオとなる。三女は賢明で動物にも配慮して、全て賢明に振舞ったので、その家にかかっていた魔法が解けて、老人は王子となり、三匹の動物は家来となった。三女は王子と結婚するという話である。

グリムは3回という繰り返しを好む。兄弟や姉妹が三人がいて、最初の二人が失敗するが、最後の一人が無事成功する。グリム童話集は基本的には口承文芸だと思う。記憶に負担をかけないために、同じ話を二回繰り返していく。そして、三回目がその変形である。また、お話の中でも人々の話しかけ、掛け声が面白い。必ず韻を踏んでいるので、歌の歌詞のようであり、覚えやすく記録に残りやすい。グリム童話集では、音の響きを楽しむのが第一の目的であり、ストーリの厳密さは要求されていない。音の調子の良さがかなりグリムの魅力を高めている。一方のアンデルセンの童話はかなり近代的な童話ではないか。そこでは、話のストーリが一貫していて、ストーリーの魅力がかなり重要であり、それゆえに翻訳によってその魅力が減じることは少ない。

第170話はLieb und Leid teilenである。夫婦喧嘩の話である。当時のドイツ社会を垣間見ることでできる点が興味ふかい。

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