2014-12-20
今日は上京することがあり、行き帰りの新幹線で Lecoq を読んでいた。話が拡散してきて流れを掴みづらい。
ちょっといい場面は、Marie-Anne が牢獄の Chanlouineau を訪ねる場面である。Chanlouineau は彼女に対する愛を打ち明ける。そして、Maurice の妻となることを祝福する。単なる農夫と思われていた Chanlouineau がこんなに気高いことができるとは。とにかく、Marie-Anne にはすべての男が恋をして、そして彼女ゆえに気高くなっていく。(話がすこしできすぎているようだが)
—Celle-ci est pour vous… ajouta-t-il. Vous la lirez quand je ne serai plus… De grâce… ne pleurez pas ainsi!… Il faut du courage!… Vous serez bientôt la femme de Maurice… Et quand vous serez heureuse, pensez quelquefois à ce pauvre paysan qui vous a tant aimée!… (No. 3673)
次の文章は私のお気に入りである。Chanlouineau は最後に最愛の人を抱く。唇を重ねるのではなくて、頬に軽く唇が触れる (effleurer) 程度なのだな。このあたり私が筆者ならば、baiser にするのだが。単に頬にeffleurer だけではつまらないな。でも急にそんなことをするのは不自然か。
Et pour la première fois il serra Marie-Anne entre ses bras, et de ses lèvres effleura ses joues pâlies… —Allons, adieu, dit-il encore… ne perdez plus une minute. Adieu!… (no. 3673)
serra Marie-Anne entre ses bras の部分を embrasser を用いるのは不自然なのか、元々はbrasで抱きしめるという意味だったが、現代のフランス語ではキスをするという意味だけで使われる。この19世紀中頃のフランス語では「抱きしめる」という意味で使ったのではあるまいか。それならば、ここをembrasser としていいのでは。