2014-11-26
Lecoq を読んでいる。no.1680まで読んだ。面白いと思ったのは、老婆の尋問に関してLecoqが立ち会わせてくれと判事にお願いすることである。次の記述がある。Le loi dit que “l’accusé sera interrogé secrètment par le juge assisté de son greffier,” mais elle admet cependant la présence des agents de la force publique. (no.1632) これはこの当時のフランスでは、予審判事だけが容疑者を尋問することを示している。私のような素人の考えでは、捜査を担当した刑事が尋問すれば一番効率がいいと思うのだが、そうではないようだ。現代の日本ではどうか?捜査担当者と予審判事の仕事の分離はいかなる理由なのか?自分の知らないことはたくさんあるなとつくづく感じる。何はともあれ、Lecoq は尋問に陪席することができるようになった。
判事は老婆を見て、Quelle vieille comédienne!… (no.1645)と言う。そして次の文章だが、Sa perspicacité, il est vrai, devait être singulièrement aidée par quelques notes qu’il venait de parcourir. とあって、この il est vrai の意味が分からない。「判事のその洞察(perspicacité)は事前に目を通したいくつかの書類で強まったに違いない」という文全体を il が指すのか?それとも、Sa perspicacitéを受けているのか、しかし、女性形なので、elle est vraiとなるべきだろう。この il est vrai はLecoq の視点から述べているのか。それとも、作者の視点(つまり神の視点)から述べているのか。ちょとと解釈に迷った文である。
判事が老婆に年齢を尋ねる。Cinguante-quatre ans. (no.1652) 54歳である!この小説では、彼女のことを頻繁に la vielle femme と描写しているので、かなりの年齢かと思っていたら、まだ54歳である。当時のフランスの平均寿命はおそらく50歳ぐらいだったのだろう。現代の感覚だと50代はまだまだ若いと思うのだが。。。。昔の小説を読む時の注意点は「老人や老婆」と書かれていても現代の感覚で判断しないことだ。