異文化の森へ

『武器としての書く技術』イケダハヤトを読む


『武器としての書く技術』(イケダハヤト著、KADOKAWA刊)を読んだ。いろいろと面白かった。

面白かった理由は、書き方の手法が単に述べてあるのではなくて、書くことによって著者イケダハヤトがいかに生きてきたかという生き様の紹介でもある。そして人生論の本でもある。要は、イケダハヤトがどんな人物であるかが分かるのだ。

多くの読者はブロガーとして有名なイケダハヤト氏をご存じであろう。そして、イケダハヤトのように稼ぎたいと願っているだろう。どうすればそのように稼げるのか、私も含めて知りたがっている。そんな読者にとっては、この本を読むことで、その秘密に触れることにもなる。

各ページには、有意義は示唆がある。

p.216 には、現在の出版界の変化を告げている。アマチュアたちが書くことを始めたので「プロの文筆家たちは自分たちの食い扶持を荒らされる」という現象を述べている。私なども最近は本をあまり読まない。出版界もこの現象を受けて、変わってゆかねばならない。私自身でも本よりも、ブログやツィッターを読む時間の方が多くなった。でも、イケダハヤトのような新しい感性に満ちた本はやはり読んでゆきたい。

p.246には、ブログを書くことは外付けハードワークを持つことになる、と述べている。その人の備忘録として用いてもよい。しかし、丁寧な書き方をすれば、他の人が参照して、それを活用することができる。それによって情報の発信ができるのである。

p.258 では、「思います」「気がします」「かもしれません」という表現を断定的な表現にすることを提示している。私自身もよくそのような「弱い表現」をしてしまう。これは大切なことなので、自分も書き方を変えてゆくつもりだ。

p.268では、ブログを通して発言できることで、マイノリティがにも存在が増してきた、と述べている。この社会現象は各地に見られる。ちょっとつぶやいたことが拡散されて、大きな社会現象となり、ついには大多数を動かすことがある。

この様にこの本は、主に、現代社会において書くことの意義や効果について述べている。むろん、個人の書き方にも示唆する点はいくつもある。自分にとっても参考になる点の多い本であった。

モバイルバージョンを終了