異文化の森へ

銭形平次捕物控の特徴

『銭形平次捕物控』を読んでいる。野村胡堂はクラシック音楽にも造詣が深くその方面の著作もいくつかある。

さて、この捕物控の特徴は、徹底的なエンターテイメント志向であることだ。読者を中年の男性と決めて、男性が楽しめるように徹底的に工夫がしてある。

まず、必ず美女が登場する。それも絶世の、息をのむような美女である。そんな女性が平次の家に訪ねてきて依頼をする。涙ながらに語る因縁話があったりする。あるいは、さらわれたのが町内一の小町娘、由緒ある家の一人娘であったり、である。最初から中年男の同情をひくような舞台設定である。(現代の女性評論家からは集中砲火を浴びそうな舞台設定である)

物語は長くはない。電車の中、ふと隙間の時間に読み終えることができる。でもそれなりに楽しませるだけの長さはる。

また、この物語では善人悪人がはっきりと分かれている。実際の世の中は、こんなに善人悪人がはっきりと分かれることはない。互いの要素が絡まって、どちらが良い、悪いとは言えないものだ。純文学では、このように人間性が複雑に絡まっていて、読後感は人間やこの社会について深く考え込むことがある。しかし、この捕物控では、そのようなことはない。あくまでも悪人は悪人で、善人は善人だ。この単純明快さがいい。

毎回、なにがしかのトリックを示している。トリックはありきたりではいけない。そこに野村胡堂の腕の見せ所がある。どんでん返しが毎回あるが、それはトリックと結びついている。作者は毎回、トリックを考え出すのに苦労したと思われる。

『オール読物』に毎月連載して、さらにはほかの雑誌にも書いてゆく。月に1,2編このような内容の捕物控を書いてゆく野村胡堂の才能豊かさに感嘆するとともに、アイデアを生み出すために苦労したことと推察される。このような短編小説は、アイデアが勝負である。面白いアイデア、トリックがあれば、半分は成功したようなものだ。後の肉付けは簡単にできる。

さて、我らとしては、野村胡堂の苦労の跡を一つ一つ楽しめばいいと思う。あまり理屈を言うのは野暮ということであろう。

 

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