2015-02-21
La Peste を読んでいる。だいたい6割ぐらい読んだ。このペースだとあと2週間ぐらいで読み切ることができるのではないか。静かなところで、まとまった時間が確保できればかなり読み進めるが、毎日忙しくてなかなか余裕がない。
no. 2426 でジャーナリストのRambeux は自分は臆病だからペストのはびこるオランの街を逃げ出すのではないと弁明する。他の目的があるからのようだ。ガールフレンドに会うためか。
ジャンヌダルクの兜が太陽のために輝き熱を帯びている。Le soleil, derrière les maisons de l’Est, réchauffait seulement le casque de la Jeanne d’Arc entièrement dorée qui garnit la place.(no. 2450) 突然なんでこんな文章が出てくるのか?les maisons de l’Est とは何か?
東地区の家々なのか。ジャンヌダルクの兜は何の関係があるのか?この当時のオランの街にはジャンヌダルクの銅像が建っていたのか?(もちろん、アルジェリアの独立後は撤去されたのだろうな)
それから、どうでもいいことだが、Cottardという男が出てくる。彼の職業は rentierとあるので、辞書で調べると 金利か年金での生活者とある。この男あまり裕福そうでないから、年金生活者なのだろうな。でも、年寄りという風には描写されていない。また、Un peu plus tard, Rambert et Cottard virent arriver Garcia.(no. 2356)という文がある。arriver が他動詞として使われるように見えるのだが。これは「Garciaが到着するのを二人は見た」という意味なので、Un peu plus tard, Rambert et Cottard virent Garcia arriver. という文が普通なのだろうな。フランス語では、このように知覚動詞+不定詞+目的語という語順が許されるようだ。英語に慣れていると一瞬「えー?」と思ってしまう。
Tarrouとジャーナリストが話をする。no.2674 では、スペイン内戦のことが話題になる。どちらを応援するのかと聞かれて、ジャーナリストは負けている方だと答えるので、人民戦線派を応援しているようだ。これはもちろんCamus の立場でもある。なお、フランス語では、la Guerre d’Espagneと称するようである。日本では「スペイン内戦」とするのが普通で、スペイン戦争とはあまり言わない。
それからno. 2674では、「愛のために死ねるか」 「多分無理」 「理念のために死ねるか」などの会話が続く。Voyons, Tarrou, êtes-vous capable de mourir pour un amour ? – Je ne sais pas, mais il me semble que non, maintenant. 話は飛ぶが、兵士は理念のために死ねるか。戦争に参加する人はそのように洗脳されるのだろうか。とりわけ徴兵制がひかれて国民皆兵の制度では、洗脳が著しくなる。死ぬのは誰でも嫌である。しかし、これを乗り越えるのは、「理念のために」という大義名分である。その意味では、傭兵制度は気楽である。金のためにと割り切っているのであるから。
この小説では、ペストは何を象徴しているのか。ナチスに例えているのか、あるいは人間存在の無意味さを象徴しているのか。これから読み進む必要があるようだ。