異文化の森へ

l’heure est venue de réfléchir

2015-02-12

La peste を読み続ける。正直言って、あんまり面白くない。なんで面白くないのか、考えてみる。それは、ペストのために隔離されたオランの町の状況を医学的・具体的に説明しているのではなくて、寓話的・比喩的に説明しているからであろう。つまり動きがなくて静的に話が続くだけであるから。またこの小説の要旨は「オランの町の人々のありさまは、人類一般のありさまと同じである」ということのようだ。でもカミュのこの考えは特に目新しい主張ではない。さらに、その道具立てがキリスト教であるために、我々非西洋文明圏の人間には分かりづらい。

神父さん(le père Paneloux)が説教をする。 ペストが蔓延しているので、「悔い改める時がきた 」(Oui, l’heure est venue de réfléchir.)(no. 1554)と述べる。[réfléchir は「悔い改める」という訳でいいのだろうな。se repentir ならば、はっきりと「悔い改める」という意味になる] また、Mais Dieu n’est pas tiède. (no. 1554)とある。「だが神は厳しいお方だ」と訳してみる。

Ce fléau même qui vous meurtrit, il vous élève et vous montre la voie. (no.1569)これは「汝らの命を奪う災難でさえも、汝を高め本当の道を示すのである」とでも訳してみよう。ペストが蔓延する中で、こんな説教を聞く聴衆の気持ちを考えてみよう。励まされるかな?なんか、カミュはキリスト教をおちょくって、教会のこんな場面を描いているのではないか。要は、人間の存在とは、オランの町に生きる人々と変わりがない、とカミュは言っているのだろうな。

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