異文化の森へ

語の両義性

2015-02-10

La Peste を読み続ける。登場人物はあまり多くない。そして、一人一人がどのような個性を持っているか、じっくりと語られている。ふと思い出すのはシムノンの探偵小説である。メグレ・シリーズでは、話の進展が早いし、登場人物が多すぎる。誰がどうであったか分からなくなる。それゆえに、新しい人物が現れるたびに、名前を表紙の裏にでも書き込んで、誰が誰だが記録しておく必要がある。

La Peste では登場人物は少ないので、筋が分からなくなることはないのだが、一応、医者の Rieux、ジャーナリストの Grand、情報提供者の Raymond Rambert という名前を Evernote に記録している。

さて、次のような文章がある。Ils descendirent les ruelles du quartier nègre. (no. 1346) 「彼らは黒人街(アラブ人街)の通りを下っていった」の意味である。アラブ人を黒人と表していることに注目する。同じアフリカでも、赤道直下に住む人々とアルジェリアに住む人々は全く違う肌の色をしていると思うのだが。アラブ人は正確には褐色であるから brun なのだろうと思う。なお、nègre は現在では Noir とすることが多い、と辞書にある。英語では Negro という言葉は現代では非常に差別的なニュアンスがあるので使用禁止の言葉であるが、フランス語でも同じ事情と思う。

je suis étranger à cette ville.(no.1357) ここでは、étranger が無冠詞で使われていることに注目する。英語では a stranger となるのだが、フランス語では人の職業や身分を示す語は形容詞のように機能して無冠詞となる。

一つの言葉が両義で使われることにも注目する。je n’ai pas cette sacrée maladie.(no.1371) という文の sacrée という語だが、「神聖な」という意味と「畜生」という罵り言葉の両方で使われる。極度に聖なる語は、同時に極度に卑なる語でもある。ドイツ語のselig 「祝福された」と英語の silly は同じ語源からきていること。Jesus, God, Dieus などは罵り言葉としても使われること。このあたりの人間の心理は面白そうである。学生の頃に、倫理学の時間でそんなことを教わった。それ以来、両義性を持つ語は自分の関心事の一つである。Mircea Eliade の本を読むようになったのもその授業の影響がある。

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